女川 猪落
石巻市との境、牡鹿半島の付け根に近い小さな浜、猪落。ここを訪れるのは10年ぶりかな。当時は台風で国道が通行止めとなり石巻から万石浦南岸をを迂回したことがある。
針の浜から猪落へ通じるトンネル、開通当時「未来へ通じるなんとか・・」といったうたい文句が広報に載っていたような気がする、どういう意味かよくわからい。この手前を右へ「女川クリーンセンター」への道が分かれる。
トンネルを抜けるとすぐ左下に真新しい民家。どうやら元の家は解体したようで前が更地になっている。
その奥にもう一軒。ここは被害を受けた様子はない。
初めはこの民家へ向かる道路がわからず、周辺をうろうろ。この家の古老の話を聞いた、どうも記憶があやふやで話がかみ合わない部分が多く面白かったがちょっと残念。
津波の被害はなかったが地盤沈下でその後の満潮時は冠水がひどく道路際の古い家は解体したそうだ。跡地は瓦礫で埋め戻され更地と化していた。工事中の青年が更地にして持ち主に返す仕事をしていますと話していた、言葉から関西方面からの応援のようだ。
この辺りは表猪落というのだろうか、わずか3軒の家が残っているだけ。
まだ鹿の生息数が少なかったころ、ガードレールの向こうに簡単な檻があり、3・4頭のシカが飼育されていた。今日のように鹿の数が増えるなどとは当時思いもしなかった静かな隠れ里浜だった。
昔このあたりの岸辺は葦がびっしりと生えていた。泳ごうにもモクと言った海藻が繁茂していて下手をすると動けなくなるからと注意された、モクの中は海水の流れが無いからまるでぬるま湯の中に入ったようで海水浴の気分ではなかった記憶がある。
満潮時の痕跡を示すごみ。
自動で排水するポンプ、満水になると稼働する、見ていると10分ごとに動いているようだ、満潮時はフル回転となるはずだ。
度重なる冠水ですっかり枯れてしまったケヤキ?
無人の集落を思わせる。
ちょっとした坂を超えると裏猪落に出る、ここにはたった一軒残っている、道路わきの更地は台風の被害を受けたと思われる。
対岸は渡波、流留方面。
以前生簀料理を提供していたという黒島。
だいぶ以前角浜に住んでいたころ、近くに潜水業の傍ら傷ついた動物や鳥の治療をされていた「あべくらさん」という動物保護員の資格を持つ方がいた、朝夕の行き帰り倉さんの家の路地の向こうに多くの鳥や動物がいた。その倉さんが傷の癒えた動物たちを放したのがこの黒島である、倉さんはこの島を動物たちの楽園にしたかったようだ。
右側はクリーンセンターのある唐松山。
杉の若木をシカの食害から守るための大がかりなネット防御。
遺跡を示す標識。更地が真新しい、ここは台風の被害ではないかと思う。
この部落に平姓があることで平家の落人部落ではないかという話を子供のころに聞かされた。「朝日射す、三つ葉葵の木の下に、漆満杯、黄金ザクザク」の埋蔵金伝説に子供心に非常に興味のあった場所だ。
部落名の由緒も諸説があり、よく聞かされたのが猪も転げ落ちるほど急坂の山間にあるところからというものだった。
中学の一年先輩の方が今の中学まで通うのに朝四時ごろに家を出たということを直接聞いたことがある、彼は高校までこの奥深い山道を毎日通い続けた豪の者であった。
片側一車線ながら余裕のある町道もここまで、その先は石巻の市道。おそらく市道のままではいつまでもこの状態だろう、以前台風時に迂回した道路は大型車がすれ違いで立ち往生、至る所で渋滞で、万石橋から女川まで3時間もかかった大変な道路だった。
原発避難道路の一つのルートとしても早急に整備してほしい道路である。
針の浜から猪落へ通じるトンネル、開通当時「未来へ通じるなんとか・・」といったうたい文句が広報に載っていたような気がする、どういう意味かよくわからい。この手前を右へ「女川クリーンセンター」への道が分かれる。
トンネルを抜けるとすぐ左下に真新しい民家。どうやら元の家は解体したようで前が更地になっている。
その奥にもう一軒。ここは被害を受けた様子はない。
初めはこの民家へ向かる道路がわからず、周辺をうろうろ。この家の古老の話を聞いた、どうも記憶があやふやで話がかみ合わない部分が多く面白かったがちょっと残念。
津波の被害はなかったが地盤沈下でその後の満潮時は冠水がひどく道路際の古い家は解体したそうだ。跡地は瓦礫で埋め戻され更地と化していた。工事中の青年が更地にして持ち主に返す仕事をしていますと話していた、言葉から関西方面からの応援のようだ。この辺りは表猪落というのだろうか、わずか3軒の家が残っているだけ。
まだ鹿の生息数が少なかったころ、ガードレールの向こうに簡単な檻があり、3・4頭のシカが飼育されていた。今日のように鹿の数が増えるなどとは当時思いもしなかった静かな隠れ里浜だった。
昔このあたりの岸辺は葦がびっしりと生えていた。泳ごうにもモクと言った海藻が繁茂していて下手をすると動けなくなるからと注意された、モクの中は海水の流れが無いからまるでぬるま湯の中に入ったようで海水浴の気分ではなかった記憶がある。
満潮時の痕跡を示すごみ。
自動で排水するポンプ、満水になると稼働する、見ていると10分ごとに動いているようだ、満潮時はフル回転となるはずだ。
度重なる冠水ですっかり枯れてしまったケヤキ?
無人の集落を思わせる。
ちょっとした坂を超えると裏猪落に出る、ここにはたった一軒残っている、道路わきの更地は台風の被害を受けたと思われる。
対岸は渡波、流留方面。
以前生簀料理を提供していたという黒島。だいぶ以前角浜に住んでいたころ、近くに潜水業の傍ら傷ついた動物や鳥の治療をされていた「あべくらさん」という動物保護員の資格を持つ方がいた、朝夕の行き帰り倉さんの家の路地の向こうに多くの鳥や動物がいた。その倉さんが傷の癒えた動物たちを放したのがこの黒島である、倉さんはこの島を動物たちの楽園にしたかったようだ。
右側はクリーンセンターのある唐松山。
杉の若木をシカの食害から守るための大がかりなネット防御。
遺跡を示す標識。更地が真新しい、ここは台風の被害ではないかと思う。この部落に平姓があることで平家の落人部落ではないかという話を子供のころに聞かされた。「朝日射す、三つ葉葵の木の下に、漆満杯、黄金ザクザク」の埋蔵金伝説に子供心に非常に興味のあった場所だ。
部落名の由緒も諸説があり、よく聞かされたのが猪も転げ落ちるほど急坂の山間にあるところからというものだった。
中学の一年先輩の方が今の中学まで通うのに朝四時ごろに家を出たということを直接聞いたことがある、彼は高校までこの奥深い山道を毎日通い続けた豪の者であった。
片側一車線ながら余裕のある町道もここまで、その先は石巻の市道。おそらく市道のままではいつまでもこの状態だろう、以前台風時に迂回した道路は大型車がすれ違いで立ち往生、至る所で渋滞で、万石橋から女川まで3時間もかかった大変な道路だった。原発避難道路の一つのルートとしても早急に整備してほしい道路である。