石巻 流失長谷寺跡の釜谷観音開眼
新聞で報ぜられた釜谷の長谷寺。大川小の周辺は幾度も訪れているが、この記事で小学校の近くに流失した寺があったことを初めて知った。
向こうに見えるのが大川小学校の被災した校舎。
寺が存在したことを示すのはここにある石碑群のみ。
どの碑も、相当の衝撃を受けたと見えて、かなり傷みが激しい。
ここに残っているものが、寺に関わるすべてなのだろうか。
さほど広くもない境内は、すでに野原と化し、その一隅に観音像がある。
大川小学校までは多くの人が慰霊に訪れるが、わずかな距離のここまで足を運ぶ人はまれのようだ。今日は我々の前に一組の夫婦が訪れていた。
寺跡を含め学校周辺には多くの桜の木が植樹された。2.3年後には見事な桜並木が見られるかも知れない。
石段上に、十と一の石版がある。礼拝の順番を表す数字だが、はじめは合点がいかなかった。
二番、
焼香用祭壇、線香が入った箱も用意されている。
三番、
小さな釣鐘が下がったいる。
四番
観音像の台座。
十二支 の碑がはめ込まれている。
両端に慈愛、洗心のプレートがあり、その手形に、自分の手を合わせ念じる。
五番、
写経堂、檀家や希望者の書いた写経を収めるところとある。
六番、
仏像とマリア像が並んでいる、宗教を問わず多くの人が祈祷できるようにとの配慮。
左に浄財を受ける石造りの箱があり、中央に参拝者の思いをつづるデスクがしつらえてあ。、マジックで石版にそれぞれの思いを自由に書き込める。
思いを綴ったたくさんの石版。
その傍らには賢治の碑があった。
七番、
再び台座に戻る。
三十二回忌までの干支とそれぞれを司る明王、如来、菩薩のパネル。
八番
マニ車
九番
蓮に載った一種の宝玉だが、正式の名称はわからない。、たぶん下の台座後ろに説明があると思うが、うっかり見逃してしまった。
その後ろに観音像。
「南無大慈大悲聖観世音菩薩」像。
台座を含め7mの大きさ、純白の像が青空に映える、その視線の先は茫漠たる荒野だ 。
囲いの石柱に小さな穴が見える。ここにローソクを立て燈明となる。
建立の経緯が刻まれている。
そのすぐわきをダンプ行き交う。道路の補修工事だろうか、もう人が住むことのない場所と云われているが。
かつてここには多くの民家があった。今は水鳥がのんびり日向ぼっこ、あまりにものどかすぎる風景だが・・・・・・・
釜谷から長面にかけての広大な地区に集落が形成されることはない。細々と漁業を営む人達の作業場が残るだけ、やっと先月電灯がともったという。










大川小学校までは多くの人が慰霊に訪れるが、わずかな距離のここまで足を運ぶ人はまれのようだ。今日は我々の前に一組の夫婦が訪れていた。




焼香用祭壇、線香が入った箱も用意されている。


小さな釣鐘が下がったいる。

観音像の台座。



写経堂、檀家や希望者の書いた写経を収めるところとある。







再び台座に戻る。


マニ車




「南無大慈大悲聖観世音菩薩」像。
台座を含め7mの大きさ、純白の像が青空に映える、その視線の先は茫漠たる荒野だ 。






釜谷から長面にかけての広大な地区に集落が形成されることはない。細々と漁業を営む人達の作業場が残るだけ、やっと先月電灯がともったという。